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綺麗な心で「思う」事の大切さ




私たちは、頭で考えるということをします。


しかし、頭で考えるということよりももっともっと大事なことがあります。それは、思うということです。思いは人間のあらゆる行動の源になっています。


「思う」ということと、「思いつき」は違います。思うということは、決して軽いものではないのです。この心に思うということがあって、初めて行動に移すということになります。こうして、強い動機が行動となり、物を作り出していくことになります。


思いの集積は、私たちの人格や人柄を形成していきます。


そして


ジェームスアレンの名言の1つに、「人間は思いの主人であり、その人格の作り手であり、環境と運命の設計者である。」とあります。





自分自身の主人は自分ということです。私はこれを聞いて、「この自分自身をコントロールしていく上で、大切なのは綺麗な心だ」ということだと思いました。


なぜなら、自分自身をコントロールするのに、悪い心だと悪い結果になりますし、一方綺麗な心でコントロールできれば、良い結果になると思ったからです。


さて、私の心には、大きく分けて2つの状態があります。


1つは、本能とか感情とかといったもので、生きていく上で必要なものです。生きるためのものですから、何か危険が迫ったりすると、自分を守ろうとします。また、自分の利益を守ろうとしたりもします。


つまり、利己心の強い心の状態です。つまり自我の心です。


一方で、誰もが生まれながらにして持っている、利己心のさらに奥にある利他の心の状態。これはみんなが良くなるように思っている心の状態です。

自分のことを置いてでも、家族が良くなるように、社員さんが幸せになるように、地域が良くなるように、という温かい心です。これは生まれながらにして皆がもっています。


全員が持っている利他の心です。


強く思うにも、2つの心の状態のうち、どちらの心で思うかがとても大切になってきます。

この2つの心は、つねに葛藤しております。


・ みんなの為に行動したいけど、自分の休日の時間が取られるのは嫌だ。

・ 彼のために本音で話をすべきだけど、自分が嫌われるのは嫌だ。

・ 震災ボランティアで人の役に立ちたいけれど、自分が辛いのは嫌だ。

という感じです。


この2つの心のうち、どちらが強くでるか。どちらで行動するか。答えは明確ですよね。





思うことは、利他の心から発したものか、利己の心で発したものかで、結果がまるっきり違ってきます。


また、ジェームスアレンの「あなたの心は庭のようなもの」という話。有名ですよね。話は割愛しますが、こうして私たちは、日々の生活中や仕事を通じて自然と心を磨いています。


そして、ただ思うのではなく、強く強く、皆のためにという思いを信念にまで高めて、強烈な願望として心に抱いた時に、それは行動となり、素晴らしい結果がでると思うのです。


私は、まだまだです。しかしパワーの源は「強い思い」だということは、理解できました。


それも、高く美しい心の状態で思うことが大切ということでした。



そして最後に、ジェームスアレンは、「人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません」と言っています。私は最初良く分かりませんでした。なぜ自己犠牲が必要なのかということが分からなかったのです。自己犠牲はいやだなぁと思っていたのです。


しかし、ようやく分かりました。私は全社員さんが幸せになるんだったら、なんだってする、という気持ちです。会社が倒産しないためにも、なんだってするという気持ちです。これが自己犠牲というものなんだろうと思いました。


実際、私は子供たちと一緒に遊ぶ時間はほとんどとってきませんでした。私の場合は、小さい小さい話です。これが地域を動かすような仕事をしている方だったり、国を動かす仕事をしている方は、なお更、自己犠牲というハードルが自然とやってきて試されるんだと思います。



世のため人のためというのは、目標が大きければ大きいほど、大きな自己犠牲を伴う覚悟が必要だと思いました。覚悟は勇気です。そうは言っても、何もしなければ自分の環境も地域の環境も何も代わりません。


綺麗な心で判断して、強く思って実際にやってみる。


そうすると、不思議な追い風が吹き、周りが応援してくれる。そんなふうに思うのです。


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