「快適に暮らす」の本質について
「家」は全てにおいて生活の中心であり、自身の心の中心であり、家の中が乱れてしまうと、それがそのまま現象として外に現れてくる。
コロナ騒動でいろいろと体験させていただきました。その中でもニュースを見ていると、間接的に悲しい事件につながっていることがたくさんありました。一番衝撃だったのは、旦那さんの収入が減ってしまい、そのことで夫婦喧嘩になってしまい、最後には悲しい事件に発展してしまった、というのを聞いた時、どうしてこんなことになってしまったのかとても悲しくなりました。
本来、私たちは何のために生活しているのでしょうか。何のために住まいがあるのでしょうか。

自分の周りを快適にしておくことは、とても大切なことです。テーブルの上を拭いたり、庭の草を刈ったり、玄関を掃除したりするのと同じように。ちょっとした努力で、綺麗になり確実に気持ちが晴れやかになります。何とも不思議なことです。
コロナ騒動で、自宅に居なくてはならない時、不都合なことはなかったでしょうか。それは、生活スタイルが強制的に変わったことによって見えてきたことです。ですから、いつもの生活に戻れば、その不都合もなくなるかもしれません。
一方で、その不都合を楽しまれていた方々も多くいました。彼らは「せっかくだから、子供達と一緒に、子供部屋の間仕切り壁を作り、一緒に壁にペンキを塗ろう」だったり、「庭でお茶を楽しめるようにしよう」だったり、娘専用の小さな棚を作ったり、テレワーク対応するために背景の素敵な小さな書斎コーナーを作ったり。
一つ屋根の下に家族みんなで居られることは、本来素敵なことです。それがストレスになってしまっては本末転倒です。

「家」は心を休めるところであり、家族の成長を楽しむところであり、思い出をたくさん作る自分が主役の舞台であります。不都合を楽しみ、少しでも快適になるよう工夫し、毎日を過ごしたいものです。